icon_twitter_01 icon_facebook_01 icon_youtube_01 icon_hatena_01 icon_line_01 icon_pocket_01 icon_arrow_01_r

たまねぎとはちみつ

最終回

冬(8)

 息が切れてきた。だんだん重くなってきた足をひきずり、千春はバス通りに沿って図書館へむかう。館内に入ると、ほてった体が暖房に包まれ、気分が悪くなった。早足でおとなの書架を見てまわる。やっぱり、おじさんはいない。
 玄関を出て、裏の遊歩道にまわる。誰もいない。おじさんも。
 空っぽのベンチに、千春はよろよろとへたりこんだ。おじさんとここに座って話した、半年ほど前の夏の日が、何年も昔のことのように感じられる。暑くて、陽ざしが強くて、頭上には桜の葉がみっしりと茂っていて––––やかましいせみの声が耳の奥によみがえってきたところで、はっと思い出した。
 千春は最後の力を振りしぼり、家をめざして走った。
 出迎えてくれたお母さんにただいまを言うのもそこそこに、自分の部屋に駆けこむ。ランドセルと、木彫りの箱が入った手さげかばんを床に放り出し、勉強机の一番上のひきだしを開ける。奥のほうにしまってあった、小鳥のかたちをした笛をつかんで、また部屋を飛び出した。
 クルピだ。
 会いたい誰かを思い浮かべながら吹けば、相手が離れたところにいても音が届くという、不思議な笛だ。
 クルピを片手に握りしめ、千春はお店まで駆けもどった。前の道にも、店内にも、相変わらず人っ子ひとりいない。乱れた息を深呼吸でととのえ、それからクルピを両手で持ちなおして、くちびるにあてた。
 素朴な音が、鳴りはじめた。
 おじさん、聞こえる? どこにいるの? 早くもどってきて。さよならを言うのがさびしいからって、突然いなくなっちゃうなんて、ひどいよ。
 夢中でクルピを吹きながら、千春は左右を見まわした。おじさんは現れない。吐く息に、さらに力をこめる。
 のどが苦しい。頭も痛い。
 いったんクルピから口を離して、大きく息を吸いこんだ。まぶたがじんじんと熱く、胸がどきどきする。目尻ににじんだ涙を指先で拭い、クルピをかまえ直したとき、背後から足音が聞こえてきた。
 振りむいて、千春は地面にしゃがみこみそうになった。小道の先から駆け寄ってくるのは、俊太だった。
「長谷川」
 顔を赤く染め、ぜえぜえ息をきらしている。
「おじさん、見た?」
 背中をまるめて両手を膝につき、とぎれとぎれに言葉を継ぐ。
「いないんだ。このへん、捜して、みたんだ、けど」

1 2 3 4 5

バックナンバー

profile

  • 瀧羽麻子

    瀧羽麻子

    1981年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞。著書に『左京区七夕通東入ル』『左京区恋月橋渡ル』『左京区桃栗坂上ル』(小学館)『松ノ内家の居候』(中央公論新社)『いろは匂へど』(幻冬舎)『ぱりぱり』(実業之日本社)『サンティアゴの東 渋谷の西』(講談社)『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』(集英社)など。

    写真撮影/浅野剛

今日の1さつ

100かいだてシリーズのおかげで50までしか数えられなかった娘も楽しみながら100まで数えられるようになりました。「かめのおばあちゃんはなんかい?」「100!」本に感謝です。(読者の方より)

pickup

new!新しい記事を読む