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たまねぎとはちみつ

冬(7)

「ええと、どこから話すかな」
 おじさんは丸椅子に腰を下ろし、千春たちにも座るようにすすめてから、あらためて口を開いた。
「昔、関西で大きな地震があったのは知ってるか?」
 突然たずねられ、千春は戸惑いながらも首を横に振った。となりで俊太もまったく同じしぐさをしている。
「知らないか。そうだよな、きみらが生まれるずっと前の話だからな」
 地震が起きたとき、おれはアフリカで働いてた。単身赴任で、嫁さんとミホコは神戸にいた。
 現地でニュースを見て、おれはあわてて日本に連絡を入れた。幸い、ふたりとも無事だった。帰ったほうがいいか、っておれは嫁さんに聞いた。そしたら、大丈夫だって言われた。わたしたちのことは気にしないでいいからって。
 そう言ってもらえて、正直、助かったと思った。そのときやってた工事は予定よりも遅れぎみで、これからがんばって巻き返さなきゃならなかった。いろいろトラブルも多くて、おれが現場を離れるのも心配だった。ありがとう、じゃあ任せるよ、っておれは嫁さんに言った。ミホコのことをよろしく頼む、って。
「おれは本当にばかだった」
 おじさんは眉間に深いしわを寄せている。いつもの陽気な笑顔とは、まるで別人みたいだ。
「あのとき、すぐに帰るべきだったんだ。事情が事情だし、何日かなら仕事も休めたはずだった。なのに、一生懸命に働くのが家族のためにもなるって、勘ちがいして」
「でも、帰ってこなくていいって奥さんが言ったんでしょ?」
 俊太が遠慮がちに口を挟んだ。
「言った。だけど、内心はすごく不安だったはずだ。嫁さんも、それにミホコも。たとえずっと日本にいられなくても、ひとめ顔を見るだけでも、ふたりともずいぶん元気が出たと思う」
 おじさんはため息をついた。
「嫁さんはおれに気を遣って、帰ってきてほしいって言わなかった。いや、言えなかったんだ。そういう性格なんだよ。ちょっと考えれば、すぐにわかることだ。なのに、おれは考えようとしなかった。忙しいのを言い訳にして、嫁さんに甘えた」
 それをきっかけに、物理的な距離ばかりか、たがいの心も遠ざかってしまったのだった。あれこれあって、夫婦が離婚することになったのは、およそ1年後のことである。

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  • 瀧羽麻子

    瀧羽麻子

    1981年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞。著書に『左京区七夕通東入ル』『左京区恋月橋渡ル』『左京区桃栗坂上ル』(小学館)『松ノ内家の居候』(中央公論新社)『いろは匂へど』(幻冬舎)『ぱりぱり』(実業之日本社)『サンティアゴの東 渋谷の西』(講談社)『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』(集英社)など。

    写真撮影/浅野剛

今日の1さつ

描かれている町のモデルのような田舎に住んでいるわけでもないのに、読んでいると思い出す感覚や匂いがあります。こどもの頃の放課後などです。外で遊んでだりして、都会にいても自然を感じとる力が備わっていたのかなと思います。とてもすてきな感覚を思い出すことができました。(20代)

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