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たまねぎとはちみつ

春(5)

 お母さんのがっかりした顔が、千春はとても苦手なのだ。眉をぎゅっと寄せ、口をへの字に曲げて、しかたないわね、とつぶやく。視線は千春ではなく、千春の頭のななめ上くらいの、空中にむけられている。しかられたり、責められたりしているわけじゃないのに、千春の胸はすうすうする。怒った顔もこわいけれど、がっかりした顔に比べれば、まだましだ。
「正直だねえ、きみは」
 おじさんがふふっと笑った拍子に、口の端についていたクッキーの粉が、ぽろぽろとこぼれた。
 お母さんが見たら、お行儀が悪いと眉をひそめそうだ。いや、その前に、手を洗わずにクッキーを食べようとした時点で、注意される。しかも、おじさんの指先は真っ黒に汚れている。
 千春が入ってきたときにいじっていたのは、作業台に置いてある箱のようだった。ランドセルくらいの大きさで、くすんだ銀色の金属でできている。これも修理の仕事だろうか。なんの機械だろう。
「ごちそうさま」
 汚れた両手を、おじさんは丁寧に合わせてみせた。お行儀がいいのか、悪いのか、よくわからない。作業台に転がっていたクリップをつまみあげ、慎重な手つきで袋の口をとめている。
「もったいないから、ちょっとずつ食べよう」
 機械らしきもののかたわらには、写真の入ったフォトフレームが三つならんでいる。右のふたつは、同じ赤ん坊のアップで、色だけがちがう。片方は普通のカラー写真で、もう片方はセピア色だ。古いものなのか、そういう加工がしてあるだけだろうか。おじさんの子どもか、ひょっとしたら孫かもしれない。
 でも昨日、小学五年生がどんな言葉を知っているのかわからない、とおじさんは言っていた。だとすると、子どもがいるとしても、それよりは小さいはずだ。そもそも、このおじさんはいったい何歳くらいなんだろう。さっぱり見当がつかない。
 千春の視線に気づいたのか、おじさんもフレームに目をやって、左端のひとつを手にとった。
「これが、おれがはじめて設計した橋だよ」
 渡された写真に、千春は目を落とした。これも、ずいぶん色があせている。
 橋そのものよりも、手前に立っている人間のほうが、目立っていた。おそろいの、砂色の作業服を着た男のひとたちが十人ばかり、肩を組んで笑っている。中央に、今よりかなり若いおじさんがいた。

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  • 瀧羽麻子

    瀧羽麻子

    1981年兵庫県生まれ。京都大学経済学部卒業。『うさぎパン』で第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞。著書に『左京区七夕通東入ル』『左京区恋月橋渡ル』『左京区桃栗坂上ル』(小学館)『松ノ内家の居候』(中央公論新社)『いろは匂へど』(幻冬舎)『ぱりぱり』(実業之日本社)『サンティアゴの東 渋谷の西』(講談社)『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』(集英社)など。

    写真撮影/浅野剛

今日の1さつ

絵がていねいに描いてあり大切に食べてもらいたい野菜たちの気持ちが伝わります。残さず使い切りたいと思いました。いいお話ですね。大人が読んで考えさせられました。(読者の方より)

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