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ショートショートの扉

第12回(最終回)

スマートフィンガー

高井信

 ぼくは、くやしくて仕方がなかった。
 夏休みの自由研究に、昆虫こんちゅうの標本箱を作ったのだ。
 自慢じまんじゃないが、ぼくは昆虫採集には自信がある。カブトムシ、クワガタ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、アゲハチョウ、モンシロチョウ、オニヤンマ、シオカラトンボ、バッタ、カマキリ、キリギリスなどなど、この夏休み、いろんなところへ行って、いろんな虫を採集した。どこでったかとか、その虫の生態とか習性とか、いっぱい調べてノートに書いた。実物つきの昆虫図鑑ずかんみたいなものができ、ぼくは大満足していたのだ、ついさっきまでは。
 今日、同級生の橋本くんのうちに遊びにいったんだ。橋本くんちはお金もちで、最新のゲームなんかもたくさんもっている。人気ゲームが発売されると、まずは橋本くんちで遊ばせてもらうことになっていて、今日遊びに行った目的もそれだった。
 ひとしきりゲームで遊んだあと、自由研究の話になった。今日が夏休みの最終日。明日から新学期だ。
「橋本くんはなににしたの?」
「ぼく? 昆虫の標本を作った」
「え? 橋本くんも?」
「なんだ、江木くんもそうなのか」
 という流れで、橋本くんの標本箱を見せてもらった。ぼくのはお菓子かしの箱に茶色い画用紙をっただけだけど、橋本くんのは本格的な標本箱だ。それだけじゃない。箱には昆虫図鑑でしか見たことがないような、めずらしい昆虫がいっぱいならんでいる。名前も知らない虫も多い。
「2週間、マレーシアに行ってたんだよね。そのとき、現地のガイドさんにおねがいして、昆虫採集を手伝ってもらったんだ。それと、デパートで買ってもらったものもある」
 マレーシアといえば、めずらしい昆虫の宝庫だ。
「あ、そうなんだ……」
 ぼくはただうなずくことしかできなかった。こんなのを見せられたら、自分の標本箱がみすぼらしくて、みじめで……。といって、橋本くんに悪気があるわけでもないから、文句を言うわけにもいかない。
「先生もびっくりするだろうね」
 とだけ言って、うちに帰ったんだけど……。
 あらためて自分の標本箱を見ると、なさけなかった。橋本くんの立派な標本箱を見たあとでは、ただの菓子箱にしか見えない。別の自由研究にしたいと思ったけど、明日が始業式ではとても無理だ。
(クワガタって大きさによって、価値が全然ちがうんだよな。オオクワガタの大きいものだと、何万円もするらしい。ぼくのはノコギリクワガタだけど、オオクワガタくらい大きかったら、橋本くんの標本に負けないかも)
 ぼくは標本箱のクワガタに親指と人さし指をのせ、
(ほれ)
 と、2本の指の間隔かんかくを広げた。ピンチアウト――スマホの画面を拡大する操作だ。ぼくは自分のスマホはもってないけれど、よく母さんのを借りているから、操作はお手のものだ。
 いやほんと、冗談じょうだんでやってみただけだったんだけど、
「ウソ」
 ぼくは思わず声をもらした。ぼくが指の間隔を広げた瞬間しゅんかん、クワガタが大きくなったのだ。
 信じられない思いながらも、ためしに2本の指でつまむような動作(ピンチイン)をしてみると、クワガタはもとの大きさにもどった。何度かくり返し、確認する。うん、まちがいない。


「ひゃっほー」
 ぼくは、よろこびの声をあげた。なんだかわからないけれど、これを利用しない手はない。
 ぼくは標本箱の虫たちを次から次へと大きくした。大きな菓子箱を用意し、さらに作業をつづける。30分もかからず、巨大きょだい昆虫の標本箱が完成した。
 いずれおとらぬ10センチ級の昆虫軍団。これなら橋本くんの標本箱にも負けない。しばらくぼくはにんまりとしていたが、ふと、これはもっといろんなことに使えるのではないかと気がついた。
「母さん、今日のおやつはなに?」
「シュークリームよ。冷蔵庫にはいっているわ」
「わーい」
 ぼくはキッチンに行き、冷蔵庫からシュークリームを取りだした。もちろんピンチアウト! 巨大になったシュークリームをたいらげ、大満足だ。
「ふう。おなかいっぱいだ」
 ティシューで口をふき、キッチンを出ようとしたとき、母さんとばったり。
 ぼくを見て、母さんはぎょっとした顔になった。
「あんた、だれ? どうしてここにいるの」
「なに言ってるの、母さん。ぼくだよ」
「あんたなんか知らないわよ。出ていかないと警察よぶわよ」
 真剣しんけんな表情で言う。冗談かと思ったけれど、どうやらそうではなさそうだ。
「母さん、まってよ」
 必死に言ってもむだだった。
「だれか来て~。へんな子がうちに上がりこんでいるの」
「うわああ」
 ぼくは、こわくなってかけだし、家を飛びだした。
 商店街まで走ったところで立ちどまり、とぼとぼと歩く。なにが起こったのか、さっぱりわからなかった。
(母さん、いったいどうしちゃったんだろ)
 と、なにげなくショーウインドウにうつる自分の顔を見て、
「わ、だれだ」
 ぼくはおどろいた。そこに見えたのは、まったく知らない顔だったからだ。信じられずに目をこすり、再度ショーウインドウを見ると、
「うわっ」
 また別の顔に変わっていた。やはり見たこともない顔だ。
(こ、これは……)
 そのとき、はたと気づいた。––––これはスワイプだ。ピンチインやアウトと同じくスマホの操作方法で、指でなぞると別の画面になる。おそらくシュークリームを食べ、口をふいたときに、そしていま、目をこすったときに……。
 なんとか、もとの自分の顔にもどろうと顔をスワイプしまくっていると、背後から「ばけものよ」という声が聞こえてきた……。


高井 信
1957年名古屋市生まれ。1979年、SF専門誌「奇想天外」にショートショート2編が掲載され、作家デビュー。ショートショート関連の書誌等の発表や書籍の収集もおこなっている。作品に『うるさい宇宙船』『夢中の人生』『ショートショートの世界』などがある。

イラスト:アカツキウォーカー

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毎日をまじめにコツコツ生きるトガリネズミを見ていたら、自分の日常ももしかしてこんなに静かな幸せにあふれているのかも、と思えました。海に憧れて拾ったポスターを貼ってみたり、お気に入りのパン屋さんで同じパンを買ったり。駅中の雑踏やカフェでふとトガリネズミを見かけそうな気がします。(40代)

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