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放課後の文章教室

第3回 意見を書く 2

理解していることばだけを使う

「書くこと」について、若い人からの質問に、作家・小手鞠るいさんが答えます。

 いじめについて、話をつづけていきます。
 きみは、佳作になった作文の中で「いじめ」ということばを使いましたね?
 では、私から質問します。
 きみは「いじめ」ということばの意味を、どのようにとらえて、このことばを使いましたか? 

 いじめ、とひと口に言っても、その実態はさまざまです。
 人に暴力をふるうこと、人を無視すること、存在をないがしろにすること、人にひどいことを言ったり、人のいやがることをしたりすること、それらをくり返すこと、集団でひとりの人に暴力を加えること……まだまだあるでしょう。

 きみが「いじめ」と書いたとき、そのいじめは、上記の中のどれだったのでしょうか。それとも、どれでもなかったのか、すべてだったのか。

 私は、必要にせまられて、「いじめ」ということばを作中で使わなくてはならなくなったとき、「いじめ」とは書かず、個々の事態にもっともふさわしいことばに置きかえて書くようにしています。たとえば「集団暴行」と。たとえば「ことばで人を追い詰めて、その人を自殺にまで追いやった行為」というふうに、具体的に。
 なぜなら、それが私のいじめに対する理解だからです。言いかえると、私は「いじめ」ということばを、いじめをあらわすための十全なことばだとは思っていない、ということです。あくまでも私は、ということです。私のこの考え方が正解だ、ということでは決してありません。
 きみがいじめをどう理解するか、どう書くか、それはきみの自由です。
 しかし同時に、きみが「いじめ」と書くとき、きみは「いじめ」ということばを自分がどのように理解しているか、そのことをつねに自分に問いかけてみる必要があります。問いかけて、明快な答えが返ってこない場合、そのことばは、使うべきではありません。
 要は、きみが文章を書くときに使ってもいいのは、きみがそのことばの意味を「ぼくはこう理解している」と確信できることばに限る、ということです。
 そして、その理解はあくまでも、きみなりの理解でいいのです。

 たとえば、「旅」ということばと「旅行」ということば。
 何年か前に、ある編集者と、このふたつのことばの意味は同じなのか、違うのか、議論したことがあります。
 編集者は「同じだと思う」と言い、私は「違います」と主張しました。
 私にとって「旅行」とは、あらかじめスケジュールをきちんと決めて出かける計画的な旅を意味しており、「旅」とはもっと自由で、行き当たりばったりで、制約のない旅行を意味しているからです。これもあくまでも私にとって、ということです。
 私がそうとらえているから、私はそういうふうに使い分けています。20代のころ、4ヶ月あまり、所持金がなくなるまでインドを歩きまわったのは「放浪の旅」で、1週間だけ、パッケージツアーで出かけたのは「ハワイ旅行」というふうに。

 このように、ことばというものはあくまでも個人的なものだし、個人的であっていいのだけれど、読んだ人に伝わらなければ、なんの意味もないものでもあります。伝えるためには、先にも言った通り、きみがそのことばを、きみなりに理解していることが必要不可欠なのです。
 ある「ことばを理解する」というのはどういうことなのでしょうか?
 私は「理解=体験と想像」ではないかと考えています。
 実際に体験したことのある「ことば」は、それだけで強い力を持ちます。私は「旅」と「旅行」を体験したからこそ、先のように使い分けているわけです。
 たとえ体験していなくても、そのことを想像することができれば、きみはそのことばを使ってもかまいません。つまり、きみがいじめを体験していなくても、いじめられている人、いじめている人の内面を想像し、まるで自分が体験したかのように感じられるのであれば、きみは自信を持って「いじめ」と書いていいのです。

 つぎにご紹介する文章は、哲学者、池田晶子さんの書いた『十四歳の君へ どう考えどう生きるか』(毎日新聞社)からの抜粋です。ここまでの私の話に重ね合わせて、読んでみてください。

自分が思っているだけのものを「意見」と呼ぶとすると、君が持たなければならないのは「意見」ではなくて「考え」だ。「自分が思っているだけの自分の意見」ではなくて、「誰にとっても正しい本当の考え」だ。「考え」は、ただ自分が思っていることとは違う。自分が思っていることは本当に正しいか、誰にとっても正しいか、これを自分で考えてゆく、このことによってしか知られない。「思う」ことと「考える」ことは、全然違うことなんだ。君は、ただ自分が思っているだけのことを意見として言う前に、それが誰にとっても正しいかを、必ず考えなければならないんだ。

 池田さんは、「意見」と「考え」は異なっている、「思う」ことと「考える」ことは、全然違う、と書いています。それは、池田さんにとっての揺るぎない理解なのです。池田さんは「思うことと考えること」の違いを、体験しているのです。あるいは、想像することができるから、こう書いているのです。

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。1993年『おとぎ話』が海燕新人文学賞を受賞。さらに2005年『欲しいのは、あなただけ 』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん 』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞(09年)受賞。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。主な作品に、『エンキョリレンアイ』『望月青果店』『思春期』『アップルソング』『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』『星ちりばめたる旗』『きみの声を聞かせて』など。

今日の1さつ

表紙の絵やとちゅうの絵がかわいいのでレンちゃんや高田さんの気分になれて本の中の世界にすいこまれるのでドキドキハラハラしておもしろかったです。(9歳)

pickup

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