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放課後の文章教室

第4回 体験を書く 2

小説の自由

「書くこと」について、若い人からの質問に、作家・小手鞠るいさんが答えます。

 せっかくいただいたお手紙を、こてんぱんにやっつけてしまいましたが、遠藤さん、小説家になりたければ、これくらいの批判は痛くもかゆくもない、蚊に刺された程度のものだと思っていて下さいね。
 私など、新人賞を受賞してから芽が出るまでの14年あまり、叩かれっぱなしだったんですよ。打たれ強くなければ、小説家にはなれません。
 石の上にも14年です。
 さて今回は、遠藤さんのお手紙に書かれていた具体的な質問、プロットの作り方と起承転結について、お話ししましょう【ここまでがこのエッセイの「起」です】。

 プロットの作り方と起承転結について。
 「イマイチわかりません」とのことですが、「今一」ということばの意味は「ちょっと足りない」「少し不足していて、もの足りないさま」です。ということは遠藤さんは、プロットの作り方について、大筋のところでは理解できているけれど、あともう一歩、突っ込んで知りたいということなのでしょうね。
 そのような前提で、話を進めていきます。

 第3回の「設計図と地図をたずさえて」の章にも書いた通り、私は、どんな作品を書く前にも、かなり細かくプロットを立てています。そのプロットはたいてい「起承転結」にのっとって、作成しています。三段構成の「序破急」をもとにして作ることもありますが。
 これはあくまでも私のやり方です。遠藤さんに、すすめているわけではありません。なんらかの参考にしていただけたら幸いです。
 以下、「例文を挙げて教えていただけると幸いです」というリクエストにお応えして、私のプロットの例を挙げてみます(「例文」ではなくて「例」が正しいです)。

プロットその1 恋愛小説『エンキョリレンアイ』(新潮文庫)

 起=ふたりの出会い。
 承=海をへだてて交わされるふたりのメール文通。
 転=第三者の出現によるふたりの破局。
 結=未定。

プロットその2 歴史小説『星ちりばめたる旗』(ポプラ社)

 起=明治時代、ひとりの日本人男性が船に乗ってアメリカに渡る。
 承=アメリカで家族を築き、さまざまな苦労を重ねて財を成す。
 転=太平洋戦争が勃発し、スパイ容疑で日系人収容所に入れられる。
 結=未定。

 執筆前に立てた大まかなプロットは、だいたいこんなふうでした。
 創作ノートには、もっと細かいことをたくさん、書き出してありました(第3回―4参照)。その1の場合には、ふたりはいつ、どこで、何歳のとき、どういうきっかけで出会ったのか。そのとき、どんな会話を交わしたのか。ふたりの性格。ふたりの出身地。ふたりの仕事。ふたりの家族などなどなど。
 それから「起」の章を書き始めました【ここまでが、このエッセイの「承」です】。

 実際に書き始めてみると、遠藤さんもすでに経験されているかもしれませんが、物語は少しずつプロットから離れていきます。あるいは、どんどんずれていきます。
 ふと気がついたら、最初に思い描いていたストーリー展開とは違った方向に進んでいる––––そういうことがよく起こります。
 いえ、きっとそうなるはずです。それでいいのです。そうなったら、成功なのです。
 だから私はいつも「結」は未定のままにしてあります。仮に「結」を最初に決めてあったとしても、それにしばられる必要はありません。
 小説を書く、ということは「小説の自由」に身を任せる、ということです。
 小説の自由とは、物語が生きて呼吸をし、成長し、自由に動きまわるようになっていく、ということを意味しています。
 種まきを思い浮かべてみて下さい。
 地面に種を植えて、水をやる。ある日、芽が出てきて、芽は成長して若葉になり、茎を伸ばし、どんどん葉を茂らせていきますね。
 それと同じことが、小説にも起こります。小説がまるで「生き物」のように、成長していくのです。その成長を、私は「小説の自由」と名づけているわけです。
 小説の自由を尊重するためには、「起承転結」に捕らわれる必要は、まったくありません。順番にも、起承転結そのものにも、こだわる必要はありません。小説とはひとつの型に収まるものではないからです。
 「起」の次に「転」が来てもいいし、「起」は最後に回して、冒頭を「転」や「結」から始めてもいいし、無理に「結」がなくてもいい。
 そういったことは、作品を書き始めて、ある程度まとまった分量まで書き進めてきた段階で、目から鱗が落ちるようにわかることが多いです。私の場合には、100枚くらい書き進めてきたときに、「ああ、そうだったのか」とわかることが多い。
 そういえば、私はついこのあいだ、女の子同士の友情をテーマにした作品を書いたのですが、最初に立ててあったプロットでは、ラストで、片方の少女が交通事故で亡くなってしまうことにしていました。けれども書き上げたあと「これは違う」と気づいて、少女は大けがはするものの、死なないことにしました。
 小説がどんなに自由なものであるか、これでしっかりと––––イマイチではなく––––理解していただけたことでしょう【ここまでが、このエッセイの「転」。このあと最後までが「結」です】。

 プロット作成よりも、「起承転結」について考えることよりも、今の遠藤さんには、時間をかけて、やらなくてはならないことがあります。
 それはなんでしょうか?
 結論はここに書かなくても、おわかりですね?
 最後にもう一度、いただいた質問の手紙にもどります。
 「よろしくお願いします」が2カ所で使われていますが、これは最後に1回、書けばそれでいい。「教えてもらえると」は「教えていただけると」と直す。最後の一文には「など」が2つも出てきます。「読書など」「表現の仕方など」––––いったいどんな本を読んでいるのか、どんな表現の仕方を、どういうふうに勉強しているのか。「など」を使わないで具体的に表現してみて下さい。
 気が向いたら、この質問の手紙の全文を書き直して、私に送ってきて下さい。
 小説家になるための、それが最初の一歩です。

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profile

  • 小手鞠るい

    小手鞠るい

    1956年岡山県生まれ。1993年『おとぎ話』が海燕新人文学賞を受賞。さらに2005年『欲しいのは、あなただけ 』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん 』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞(09年)受賞。1992年に渡米、ニューヨーク州ウッドストック在住。主な作品に、『エンキョリレンアイ』『望月青果店』『思春期』『アップルソング』『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』『星ちりばめたる旗』『きみの声を聞かせて』など。

今日の1さつ

表紙の絵やとちゅうの絵がかわいいのでレンちゃんや高田さんの気分になれて本の中の世界にすいこまれるのでドキドキハラハラしておもしろかったです。(9歳)

pickup

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