「書くこと」について、若い人からの質問に、作家・小手鞠るいさんが答えます。
––––はじめまして。わたしは、神戸に住んでいる中学2年生です。本を読むのは好きなのですが、感想文を書くのがとても苦手です。毎年、夏休みが来るたびに、ああ、宿題の感想文、いやだなと頭をかかえています。あらすじを書くのもむずかしいです。感想文には絶対、あらすじがあったほうがいいですか? わたしの場合、書いているうちに、あらすじだけで感想文が終わってしまうこともあります。
質問のお葉書をくださって、ありがとう。
子どもたちや若い世代に、本を好きになってほしい、読書の喜びを味わってほしいという願いをこめて、先生をはじめとする大人たちは「感想文を書きなさい」と言っているに違いないのに、その感想文があなたたちにとって重荷になり、好きだった読書や、もしかしたら、好きだった作文まできらいになっているのだとしたら、これはたいへん残念なことです。
中学時代、私は感想文を書くのが大好きでした。というよりも、感想文でもなんでも、とにかく書くことが好きで好きでたまらなかったのです。
そんな私から、感想文が苦手なあなたに「感想文を書くのは楽しい!」と思ってもらえるような話をしましょう。
あなたは、ケーキが好きですか?
たとえば、いちごのショートケーキ。
お皿にのせられ目の前に置かれている、いちごのショートケーキを思い浮かべてみてください。フォークで切り分けて、あなたはケーキをひと口、食べました。
さあ、どんなことを感じましたか?
おいしい? おいしくない? あまい? あますぎる?
どう感じるかは、人によって違います。でもきっと何かを感じたはず。
あなたがケーキを食べて感じたこと。それがケーキに対する「感想」です。
では、いちごのショートケーキを「おいしい」と感じたあなたに質問します。
なぜ、おいしいと感じたのでしょうか。
ちょうどいいあまさだったから。あまいものが好きだから。カステラがふわふわで、舌ざわりがよかったから。カステラとカステラのあいだのクリームがなめらかで、口のなかで、とろけそうだったから。いちごとカステラとクリームが混ざりあったときの味が、なんとも言えず、おいしかったから。
こんなふうに、「おいしい」と感じる理由もまた、人によってさまざまに異なります。舌で味わう感覚だけではなくて、いちごの色がきれいだから、いちごとクリームのかおりがすてきだから、と、目や鼻でおいしさを味わう人もいるでしょう。ケーキに添えられていた紅茶がおいしかったから、だからケーキまでおいしく感じられた、という人だっているかもしれません。
さて、次の質問。
あなたはおいしいケーキをすっかり食べ終えました。
今、どんなことを思っていますか?
おなかがいっぱいになって、幸せな気持ちになった。1個じゃ足りない、もっと食べたい。ケーキを買ってきてくれたおばあちゃん、大好き。このケーキ、友だちにもプレゼントしたい。今度は同じお店の別のケーキを食べてみたい。自分でこんなケーキをつくってみたい。どうやったら、こんなおいしいケーキがつくれるんだろう。だれがつくったんだろう。カステラには、何と何と何が入っているんだろう。
やっぱり人によって、それぞれに違った思いをいだくことでしょう。
ケーキを食べ終えて、思ったこと(=想ったこと)。つまり、どんな気持ちになったか。これもまたケーキに対する「感想」です。
もうおわかりですね?
ここで、ケーキを本に置きかえてみてください。
本を読み始めたとき、あるいは、読んでいるさいちゅう、読み終えたとき、あなたはどんなことを感じて、どんな気持ちになりましたか? うれしくなった? 悲しくなった? 驚いた? それは、なぜですか?
ただ、もやもやした気持ちになった。だとすれば、なぜもやもやしているのか、その理由を頭で考えて書いてみてください。
無理に感動する必要なんてないのです。どんな気持ちでもいい。その作品に対するあなたの気持ちを文章で書きあらわしたもの、それが感想文なのです。
むずかしいと感じたら、いちごのショートケーキを思い浮かべてみて。
感想文を書くのは「おいしそう」って、思ってもらえたでしょうか?
では次に、もっとおいしい「あらすじの書き方について」お話ししましょう。